2日目のカレーライス

ことこと煮込んだおいしいやつ。

映画『母と暮せば』を観てきました

『母と暮せば』の話。


1年前の12月17日の発表から、ずっとずーっと楽しみにしていた映画が無事に初日を迎えました。
こんなに大きな作品に自担を呼んでいただけることが単純に嬉しかったし、会見でのニノの「日頃僕らのことを応援してくれる若い世代の人達にも観てもらうことが僕の使命かなと思います」っていうコメントがずしりと重く響いて、この1年間は折に触れてこの映画のことを考えていたような気がします。

とりあえず、最初に観た印象というものを大切にしておきたいので、ネタバレにならない範囲で自分の感じたことをこの場に残しておきたいと思います。
1つ1つのシーンやセリフについても書きたいことは沢山あるけれど、それは何度か繰り返し観た後でゆっくりまとめたいなぁ、なんて。


長崎の原爆で亡くなった息子が、終戦から3年経って急に亡霊となって現れるという本作。
二宮くんの演じる浩二という名の息子は、さゆりさんが舞台挨拶のときに話されていた「ふわっとやってきて、軽やかで、まるでフェアリーのよう」というお言葉が本当にぴったりの、ユーモラスでとびきり可愛い、素敵な亡霊でした。

生き残った人達は大切な存在を奪われた悲しみや、どうしようもない怒りを抱えて必死に前を向こうとしている。夫や息子を戦争で亡くし唯一生き残った母である伸子は、亡霊となった息子の浩二と対話し、そして同じように生き残った人々と関わる中で揺れ動く。
黒木さんがある雑誌で「亡霊となった浩二に会えないのは悲しいけれど、町子にとってはそれで良かったんだと思う。だって、そうじゃないと前を向けないから」と仰っていましたが、本当にその通りだと思いました。かわいい息子と想い出を語らって笑い合い、その彼がもうこの世にいないという事実を何度も突き付けられる伸子の切なさを想像すると、あまりに胸が痛くて。
本当に、かつての想い出の中にいる浩二くんはいつも優しく微笑んでいて、周りを笑わせる普通の若者で、町子とのやり取りはキスシーンがある訳でもないのに思わず顔が赤くなってるんじゃないかってくらい甘くてこそばゆいし、そんな初々しい2人を見守る伸子は幸せそうなのに。
浩二が涙を流してすーっと消えてしまうたびに、そんな当たり前のはずの光景が理不尽に奪われて、もう永久に帰ってこないんだと何度も実感させられるんです。
過去の彼らが笑顔でいればいるほど、現実に引き戻されたときに1人の若者の不在がいっそう悲しくて、遣る瀬無くなる。

戦争や天災や事件で多くの人が亡くなるたびに、私はその数を見てまず圧倒されてしまうけれど、その数字の裏に1人の人間の人生があって、その人に関わってきた沢山の人の人生がある。その人が生きていたら存在したはずの沢山の幸せがある。そんな当たり前のことを、今更ながら改めて感じました。

浩二くんは可愛くて優しくてあたたかくて穏やかで愉快な、本当に普通の、ただあの日長崎に生きていたという、ただそれだけのために死んでしまった、本当に普通の青年でした。
なんの咎もないのに突然命を奪われてしまった人々と、悲しみに暮れるだけでは許されず必死に生きなければならなかった残された人々の、静かな怒りをひしひしと感じながら、実は初めて映画館で泣きました。今まであまり感動を売りにした作品が好きではなかったし、そういうものを観るときはなるべく家で静かに泣きたい人だったのだけれど、今回は周りの観客の鼻をすする音に紛れて存分に泣いてきました。多分、二度三度と回を重ねるうちにもっともっと泣いてしまうと思います。浩二くんが現れるたびに泣きたくなるし、消えるたびに泣いてしまうから。でも、決して感動の押し売りのような作品じゃないし、悲しくなるだけの作品でもないです。
ただ、本当に沢山の人に観てほしい。


もともと井上ひさしさんの戯曲が好きで、特に『父と暮せば』が忘れられない大切な作品の1つである私は、きっと自担である二宮くんが出演していなくても、この映画を観に映画館まで足を運んだことでしょう。
でもきっと、彼がいなかったら、初日の舞台挨拶を観ようとここまで頑張らなかったと思うし、特番や雑誌やWSを細かく追いかけて自分の手元に残しておかなかったと思います。
舞台挨拶でのコメント、節目の会見でのコメント、雑誌でのコメント…。その1つ1つをしっかり正面から受け止めて自分の中にとっておきたいと思えたのはやっぱり二宮和也くんという人がこの映画に出ているからだし、こうして今、ブログ上に文章として残しておきたいほど映画について考えているのも、もう既に2度目はいつ行こうか悩んでいるのも、全部、二宮くんのおかげです。
その意味で、彼の使命は果たされたと思うし、自分の大好きな人がこの作品に関わっていることを勝手だけど心の底から誇りに思います。
1つ1つの縁を大切にする二宮くんだから、今回も共演者の方々やスタッフの方々と素敵な関係を築かれたみたいです。そんなところも大好きです。彼のその変わらない姿勢のおかげで、私はまた彼の次のお仕事を見ることができるし、そのたびに知らなかった素敵な世界に連れて行ってもらえます。こんなに贅沢でいいのかなぁ、なんて思いつつも、二宮くんからの贈り物を何度も噛み締めて有難く受け止めようと思います。本当に幸せなことです。


きっかけなんてなんだっていいから、1人でも多くの人が、この映画を観てくれますように。そして感じたことを、ほんと少しでも誰かと分かち合えたら、良い。

浩二くん、映画館まで連れてきてくれてありがとう。
また会いに行くね。

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にのみやくんという人

さて突然ですが、

二宮和也という人が好きです。


ジャニーズにハマったことのない、どころか、なんとなく毛嫌いしていた私が彼を好きになって、嵐を好きになって、気がつけば事務所の繋がり丸ごと好きになってました。すごいパワーだ。



役者としてどこにでもいる普通の青年を演じることの多い彼がどこにでもいるわけじゃない国民的アイドルグループの1人だという事実、

人間というものがあまり好きではなさそうなのに周りの人にどうしたって愛されているところ、

番組でトーク回してきっちり笑いをとる姿は最高にかっこよくて、でもたまに滑って耳まで真っ赤になるところ、

雑誌の連載やらラジオやらで度々飛び出す捻くれた発言と、でも知れば知るほど単に純真無垢なだけなんじゃないかと思わせてくれるところ、



たぶん一生かけて考えても彼の全てを理解することは誰にもできないんだろうなっていう感じ。それがどうしようもなく好き。

(いや別に、彼に限らず個人の全てを他人が理解するなんて到底無理な話だってわかってるんだけど、彼についてはいくら寄り添ってみても本当の彼はそこにはいなくて離れたところで手を振ってくれてる感じがするんです)



せっかくなので好きになった人のことを考えて文章にしたいと思い、ブログを始めることにしました。

彼に寄り添うことは無理でも、足掻くぐらいのことはしてみたいのです。