2日目のカレーライス

ことこと煮込んだおいしいやつ。

二宮くんの最新ソロ曲を好きなように読み解いてみた。

 


ニノソロはいいぞ!!!(大声)



……おひさしぶりです。

Twitterではめちゃくちゃ元気につぶやいてたけどブログは3月に日アカの最優秀主演男優賞をお祝いした以来らしい。


正直Twitterで長文ポストしまくって書きたいことは書いちゃってるので今回も前回の投稿に引き続きツイログみたいな形になるけど、二宮くんのソロ曲についてあれこれ書き留めておきます。


以降、歌詞や曲について好き勝手述べてますが私は小学生の頃に6年ほどピアノを習っていただけのぺーぺーなので音楽に関する専門的な知識はありませんし日本語の細かいニュアンスも完全に感覚的な話です。悪しからず。すべてヲタクの戯言です。


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今回のソロ曲は二宮くんは共作という形で作詞に携わってるんだけど、本人曰く共作者さんの作った世界観の中でニュアンスや語感を触らせてもらったとのこと。

二宮くんにこの世界観をぶつけてくるのは最高としか言えないのでありがとうの世界ですね!!!

歌詞中に出てくる句読点の少なさと“tell me”というフレーズは二宮くんのみの作詞曲からは絶対に出てこない色だと思います。新しいね。




それからこの歌詞、細かいニュアンスを気にすると本当に色々と引っかかるところがあって。



この曲の主人公である“僕”は“君”を忘れることを本当は望んでいないような気がします。

彼にとって“君”の存在はいつか忘れてしまうことかもしれないけど、わざわざ能動的かつ積極的に忘れ去ってしまいたいものではない、というか。

だから「忘れる」「思い出す」という相反する思考や「忘れられるように声を聴かせて」という矛盾めいた願望を吐露しているんじゃないのかな…なんて。


だって二宮くんって多分そういうスタンスで生きてる人じゃないですか。


彼氏に振られて毎日涙が止まりませんっていう女の子に対して「辛いのはもうしょうがないよね。でも毎日泣くほどの体力があるなら、毎日相手に『好き』って伝えてみれば?メールとかで『今日もあなたが好きでした』って。そしたらいつか『あれ、今日は好きでもなかったな…』って思う日がくるかも笑。」って答える人だよ、二宮和也という男は。


『今日もあなたが好きでした』って言い続けて、『あれ、今日は好きでもなかったな…』って思う日こそが“僕”にとって“君”の特別性を忘れるということであったり、前を向くということである。そう思う日が来るまでは、特別な存在の“君”の声を聴かせてほしいんだ。


とか、そういう解釈をして、あまりのロマンチック度合いにくらくらしました。そう、二宮くんはロマンチストだよ。




君の声を聴きたい。君のかけらは怖くて取り出せない。

だけど、君と過ごしたかけがえのない瞬間はもう見たくない。

…このあたりも矛盾めいてるように見えるけど、でも結局は“君”という存在は無理に消し去りたくないものだけど“君”との時間や思い出はもう振り返らなくていい過去の産物であるということなのかなと思う。

でも“僕”自身の中ではその部分の区別が明白になっていなくて、だからずっとぐるぐる悩んで苦しんでいるのかな、という印象を受けました。

要するに“僕”にとってまた今日と同じ明日を迎えること(=“君”が傍にいないのに“君”を忘れられないこと)は確かに苦悩の対象ではあるんだけど、それと同時にそんなに不幸な思いだけのする日々じゃないのかもしれない、ということ。

“僕”は“君”を忘れられなくて苦しんでいるいるけれど、忘れないこと自体を苦しんでいるわけではないんじゃないのかな、というのが私の結論です。



きっと彼は今日も明日も君を忘れられなくて苦しくて、でもそう簡単には忘れられない特別な存在だからこそ、いつかそれが自然と特別じゃないと思えるまでは「今日も君が好きでした」「今日も君が特別でした」って言い続けて苦しんでいる時間の方が彼にとっては幸せなんだろうなぁ。歪んだ意味合いではなく、素直に。




あと二宮くんってこういうとこあるよね、な話を最後に少し。



とか、



とか。




以上、器用に見えて不器用だったり捻くれてるように見えて存外素直なところのある二宮くんが好きなだけのヲタクによる『また今日と同じ明日が来る』の一考察でした!解散!