2日目のカレーライス

ことこと煮込んだおいしいやつ。

いつの嵐が1番好きですか?

 

こう問いかけられたら、
わたしは「今」と答えると思う。
 
 今の嵐が好きだ。
 
トップになるって夢を絶対叶えようね、と涙ながらに語って誰かに笑われていたかつての彼らは、紅白歌合戦の大トリを務めるまでに大きくなった。
 グループとしてゴールデンのレギュラー番組を2本持ち、それぞれ個人での冠番組やラジオ、バラエティーにドラマや映画と日々忙しく過ごしながらも、毎年のアルバム発売とコンサート開催を欠かすことなく続けている。 
そんな中で一年を振り返ったときに、「たのしかった」「充実していた」「ありがたい経験だった」と本当に穏やかに幸せそうに語ってくれる彼らが好きだ。 
きっと、嵐のメンバーたちは誰ひとりとしてこの現状を当たり前だとは思っていないし、ずっと感謝している。 
そして同時に、決していつまでもこの現状が続くわけではないこともきちんとわかっている。現状に満足して胡座をかいていたらあっという間に蹴落とされ追い抜かれてしまう世界だということをちゃんと理解しているから、嵐は今に感謝しつつも前に進む努力を怠らない
 
だから私は、今の嵐が好きだ。 
 
確かにいつのビジュアルがかっこいいだとかあのパフォーマンスが良かっただとか局所的な好みはあるけれど、それらの輝いている過去を自身の人生に内包して笑っているのが〝今の自担〟であり〝今の嵐〟なのだと思う。
今の彼らの姿は、Jr.時代からずっと試行錯誤を繰り返して積み重ねてきたすべてのものが花開いた結果に他ならない。 
だから私は、かつて蕾のまま我武者羅になってアイドルをやっていた彼らの若い眩しさが好きだし、いま綺麗な花を咲かせて笑っている彼らの美しい頼もしさも大好きだ。
 
グループは確実に大きくなったけれど、その分だけ気を遣う機会も増えて、できることとできないことの内容が変わってきつつあることは確かだし、そこに寂しさを感じてしまうこともわかる。超がつくド新規の私だって昔の映像を観ると今との違いがちょっとだけ寂しかったりもする。
けれど冷静になって考えてみると、いつまでも20代の若者として活動していけるわけがないことも、深夜時代のノリを全開にしていられるわけがないことも、当たり前の話なんだろうと思う。30代半ばの彼らはゴールデンの冠番組で乳首開きTシャツ姿を披露しない。明らかな下ネタで爆笑することも、クレーム処理をすることも、一般人に土下座をすることも、多分ない。
結局のところ、それを寂しいけれど成長の表れだと捉えるか、好きになれないものに変わってしまったと捉えるかは、ファンの問題に他ならない。 自分の感性の変化をアイドルのせいにしてほしくないし、私もしたくない。
いつか彼らの存在が自分の好みから外れてしまったなぁと感じる日が来たら、寂しいけれどそっとお別れするだろうと思う。そこに騒ぎ立てる必要なんて一つもなくて、あくまでも、ひっそりと離れていけばいい。
私の好きになれない彼らであっても、それが好きだと言う人は必ずいるし、そういう、残る人たちのことを去る者が邪魔をしてはならないと思う。 
 
 
花はいつか萎れてしまうものだし、だからこそ美しいのだけれど、私は嵐が長い間頑張り続けて咲かせてくれたあの綺麗な花たちをまだまだ枯らしたくはないし、その花を折る日が来るとすればそれは彼ら自身の決断であってほしい。 身勝手な自称ファンの声や外部の人間の雑言で、彼らの努力の結晶の煌めきをほんの少しも損ないたくない。
 
わたしは、ただ彼らのうつくしい花にそっと水を注ぐだけのファンでありたいと思う。自戒を込めて。
 
 
 
※追記(2017.1.25)
これは一時話題になった某ブログを読んで悔しいやら悲しいやらで書き殴ってしまった記事です。
今はそのブログ記事自体が非公開になっているらしいのですが、別にそちらの記事内容を引用しているわけでもないので自分のヲタクとしての自戒として残しておいている次第です。