2018.06.17
二宮和也さん、お誕生日おめでとうございます!
おひさしぶりです。前回の更新からぴったり1年が経ってました。ツイッターでは毎日たのしく生きてます。
自担の誕生日にだけ更新されるブログっていうのもねぇ、それはそれで別にいいよねぇ。咄嗟に振り返りやすいし。根っからの横着オタクなので。うん。
というわけで去年の誕生日に更新してた記事を読み返してみたら、1年前の自分とか他人すぎて割と新鮮な気持ちで読み進めることができました。これ私が忘れっぽいだけかな? やばい?
30過ぎても全然アイドルだろうなってはにかんでた二宮くんは34歳になっても全然アイドルだし、35歳だってきっとアイドルであり続けるんだろうと思うよ。
二宮くんの誕生日だからポエム書いた。 - 2日目のカレーライス
去年の私へ。34歳の二宮くんは全然アイドルだったし、35歳になった二宮くんだってそれはもうめちゃくちゃにアイドルだったよ! やったね!! 35歳の二宮くんをお迎えしてまだ1日も経ってないけど*1地球は丸い並にそれだけは自信持って言える。二宮くんは今年もとってもアイドル。
改めて振り返ってみると1年間いろいろなことがありましたね。新曲もアルバムもツアーもバラエティもラジオも映画もドラマも紅白も!もりだくさん!
こうして文字にして羅列してしまうのは簡単だけど、その一つ一つが世に出るまでに二宮くんがどれだけの時間と気力と情熱を注いだんだろう、と思うと本当に頭が下がります。二宮くんと、嵐と、彼らの仕事に関わった沢山のひとたちのおかげで、私はこの1年も本当にずっと楽しく全力でオタクだった。オタクにできることは提示されたものをできるだけ真っ直ぐ楽しんで適切にお金を払うことぐらいだけど、その姿勢をきちんと続けることは実は難しくて、だからこそこれからも楽しみながら頑張りたいな、と思う。
とりあえずブラックペアンBOX購入に向けて日々ちょっとずつ節約します。
それにしても二宮くん、35歳になったけど、今日流れるブラックペアンもベイストも、収録したときの彼はまだ34歳だった。34歳という数字を上手に納得しきる前に35歳になってしまったのは最早ちょっと面白いです。永遠の17歳、ダブルスコアを超えたよ。嘘だろ。
35歳だって事実をやっぱり上手く咀嚼できてないから、とりあえずほんの少しまで34歳だった二宮くんのことをじっくりと考えてみる。くれた言葉を、ゆっくりと反芻してみる。
もし生まれ変われるなら、次はボタンを押して稼働するような無機物がいい。有機的なもので、今以上の人生なんて望めないから、と語った二宮くん。
もし嵐がゾンビに襲われて、絶対に全員死んでしまうのなら、一番最初にやられたい。4回、信じられないほど悲しみたくないもんね、と笑った二宮くん。
こんなこと自担に言われたらもう、愛す以外の選択肢がないです。絶対的に好きだよ。
相変わらず二宮くんの精神は綺麗に真っ直ぐで、こっちが勝手にくすぐったくなるくらいで、だからこそ「大好き」を注ぎ続けることに私はなんの不安も感じなくて。
天邪鬼のかたまりみたいだった彼が、最近ちょっとずつわかりやすく心のやわらかいところを見せてくれるようになってきたのは多分私の勘違いじゃなくて、大人になるってそういうことなんだろうかとか、結構いろいろ考えてみたんだけど、本当のところは一介のオタクの私はまーーーったく知り得ません!(爆)
でも、どれだけ好きでもアイドルの内面を推し量ろうとすることがそもそも無理で、っていうか他人の心の根っこのところなんて誰にもわからないし、そこに悔しさや悲しさを感じる必要はそもそもないじゃん、なんて思い至ってみたらすごく気持ちが楽になった。
二宮くんが見せたいと思って見せてくれる姿だけを、私が私なりの向き合い方で受け取った結果だけが私にとっての真実で、それは虚像に過ぎないけれど、その虚像からもらった幸せは決して嘘じゃない。
そしてそれらすべてのことに彼自身がひどく自覚的だから、ちょっぴり切ないけど心の底から信頼できるし泣きたくなるくらい好きだなぁ、と思う。好き。
うん、好きだよ二宮くん。
「ファンが好きになった瞬間や一番好きだった瞬間の綺麗なフィルターがかかって見られるから我々アイドルは歳をとらないんだよ」という二宮くんの理論、自分たちの存在を他者からの認知によって成り立つものとして偶像的に捉えることにあまりに自然でぞくぞくする 好きしかない
— はるこ (@ra__17ni) January 7, 2018
これからも二宮くんが見せたいもの、やりたいこと、嬉しいこと、幸せを感じること、そういうもののうちの幾つかが、嵐として、アイドルとして仕事をする自分自身の姿に綺麗にぴったりと重なってくれていたら嬉しい。好きになったのはそもそもこっちの勝手で、応援してることだってこっちの勝手なのに、オタクってなんて一方的で無力でそれなのに身勝手なんだろうって思うことも多々あるけど、私が傾けた愛情や心情の揺らぎのどこかに、二宮くん自身の幸福が交わってくれていたら、本当にもうそれだけでいい。虚像を愛しているってわかってるくせに厚かましいことだけど、生身の人間としての幸福にもほんの少しだけでいいから作用していたかったのは、私がたった1つだけ見た「夢」の話です。
それから、嵐会の光景があまりに美しい幸せの縮図だったので、何年経っても5人が描く丸の中にはおいしい食べ物と嵐のコンサートがあればいいなぁって私は本気で願っています。あの穏やかで優しくて光に満ちた空間はきっと虚像じゃないって、「夢」を見させてくれたわけじゃないって、それだけは本心から信じている。
あとはまあ、こっちが偉そうに何か思わなくても二宮くん自身が自分の判断でやり遂げる仕事になんの油断も驕りもないから、私から望むことは唯一、健康でいてくれよな! ということくらいです。ゲームが楽しいのはいいことだけど胡座をかきすぎて捻挫することのないよう、たまには足を組み替えてね。我ながら何なんだこの望みは?
二宮くん、大好きな自担、35歳もいっぱい宜しく!
*1:白状するとこの記事を下書きにしてる段階で二宮くんはまだ誕生日を迎えてない