2日目のカレーライス

ことこと煮込んだおいしいやつ。

2021.06.17


二宮和也さん、38歳のお誕生日おめでとうございます!

お誕生日に寄せて記事を書くのもこれで5回目になりました。

 

37歳の二宮くんはYouTuberになって、それからパパになりました。だけどこれは属性が塗り替わるのではなく、彼を構成するものが1つまた1つと増えていっただけの話で、37歳の1年間、それから、2021年を迎えてもやっぱり、私にとっての二宮くんは嵐で、アイドルでした。

歌って踊る姿を見る機会は当然のことながら殆どなくなってしまったけれど、相変わらずバラエティ番組やYouTube、ラジオでお喋りを聞けるのが本当に嬉しくて、この人の視点の置き方や語りの切り口がどうしようもなく好きだなぁと噛み締める日々。

ほとんど誕生日くらいにしか更新しなかったこのブログですが、この一年の間は二度ほど記事を書いていました。

ここ数年間のあれやそれやを振り返ってみたり、これまで二宮くんが教えてくれた〝生きやすく生きるためのヒント〟を集めてみたり。

carni17.hatenablog.com

 

carni17.hatenablog.com

 

自分でアウトプットの機会を増やした結果、今日ここで何を書こうかなってちょっと悩んでしまったのも事実で。二宮くんについて今の私が書きたいことは割とあの二つの記事で網羅できてしまってるんです、面倒臭がりとかじゃなくて本当にね。

 

 

37歳だった二宮くんの1年を振り返ってみると、バラエティやラジオで楽しそうにお喋りする二宮くんも、映画館のスクリーンいっぱいに映る二宮くんも、YouTubeでのびのび好きなことをする二宮くんも、ぜんぶぜんぶ当たり前に大好きだけど、本音を言うとやっぱり、歌って踊る二宮くんに会いたいなぁと思ってしまいます。

お仕事の幅がとにかく広くて、そこが魅力であり面白さでもあるアイドルという存在の、やっぱり私にとっての根幹にあるものは〝歌って踊ること〟なんだって、改めて痛感する半年間でした。

 

根っからの多趣味オタクなので私の人生には常に嵐以外の〝何か〟〝誰か〟も共にあって、今までもこれからもお世話になる予定だけど、〝嵐〟からでしか得られないエネルギーが確かにあって、〝何か〟〝誰か〟は〝嵐〟の代替品にはなり得ません。逆も然りね。喪失感を他のもので補完することって、きっとできないんだろうなと思います。少なくとも私はそう。

もちろんニノさんもベイストもジャにのちゃんねるも存分に楽しませていただいてるけど、それでもふとした瞬間に猛烈にアイドルとして歌って踊る二宮くんが恋しくなったりして。たとえば、今まで当たり前のようにトリを飾ってメドレーを披露してきた大型音楽番組の出演者に名前が挙がらなかった日とか、たとえば、好きなアーティストの新譜を買いにタワレコに行った日とか。もっと言うなら、Apple Musicのシャッフルで嵐の曲が流れただけで本当は寂しくて堪らない。なんだってこんなにも夏の終わりの哀愁が漂う曲が似合うんだ嵐は。好きです。

 

我儘な私はどれだけ供給があったところでやっぱり寂しいので、この頃は自分のTwitterIDに「かわいい」とか「好き」とかの言葉を添えて検索をかけて過去の自分が書き綴った二宮くんの話を咀嚼し直して悶えるなどして過ごしています。自給自足オタクさん!

 

そういう過ごし方をしているとやっぱり、どれだけ些細な書き残しておくことがどれだけ未来の自分の救いになることか、と実感する。残念ながら私の脳味噌はそこまで優秀にできていないので、どれだけ美しい記憶だとしても記録しておかないと簡単に朧げになってしまうから。

だから、さっき何を書こうか悩むなんて言ったけど、今日この記事を書くことも来年や再来年の私のためには絶対に必要なことなんだと思います。

そう信じて、37歳だった二宮くんの話をしてみよう。37歳だった二宮くんが新しい発信の場として選んだ、YouTubeの話をしてみよう。

 

 

かつて裏方に回ることに興味を示していた二宮くんが20年以上徹底して表舞台に立ち続けた今、演者の目線を持ちながら企画編集・運営に携われるYouTubeはこれ以上ないほどに彼に向いているフィールドなんだろうと、のびのび楽しんでいる姿を見るたび噛み締めています。

ぼくの夢はYouTuberです!なんて、冗談めかして何度も言っていたけれど、こんなに素敵な形で叶うなんて思ってなかったな。

 

再生回数が全てではないことを前提として、観てもらう動機付けに対してしっかりと戦略を練っている二宮くんが好き。

始動までの過程を追えた方がいい、そこが見えない巨大コンテンツに新しく入っていくのはハードルが高い、という思考のもとでチャンネル開設の裏側のすべてにカメラを回していたと知って、なんて聡明で論理的な人なのだろうと思った。YouTubeに投稿した動画は削除しない限り基本的にずっと残り続けていくものだからこそ、いつから入っても〝始まり〟に立ち会える仕様にしたことは、これから裾野を広げていく上でも絶対的に有利に働くことでしょう。

多くの人が楽しめるものを作ることは結果的に再生回数や登録者数という目に見える数字に現れてくるので、節目の数字のお祝いを見るたびに良かったな〜嬉しいな〜と思うし、その勝手ながらも抱いているある種の当事者意識のようなものは「最初の最初を見せてもらった」ことのおかげなのかなぁなんて考えると、二宮くんって本当にすごい!〜CANMAKE TOKYO!〜という感情に帰結しませんか?

二宮くんって本当にすごいんですよね。わかります。

 

テロップや概要欄でかわいこぶったことを書く二宮くんが好き。自分のどこがかわいいと思われているのか、結果だけじゃなくその仕組みにまで自覚的なところが好き。

私は二宮くんのことを「己の可愛らしさを99%理解している餅」だと思ってるし、その二宮くんから不意に零れ落ちる1%の無自覚で無防備なところを拾い集めて言葉にして記録することにこれ以上ないほどの喜びを感じているタイプのオタクです(きもちわるい自己紹介だね…)

だから、二宮くん自身が提示するものに99%の部分の言語化が含まれているYouTube、楽しくないはずがないんですよね。二重否定は強い肯定です。

YouTubeってテレビと同じく映像媒体ではあるけれど、バラエティ番組を観ているときと大きく異なるのはこの部分なんだろうなと思います。二宮くんの手が加わることで、二宮くん自身が見せたい姿がより明確になる。セルフプロデュースに長けた二宮くんに、やっぱりぴったりの場。

 

自分に対する需要がどこにあるのか的確に掴み取っている二宮くんが好き。

さっき書いた「かわいい」に対する姿勢もそうだし、チャンネルメンバー4人がただ喋っているだけで絵として成立することをわかっているところも好き。

それから、たくさんのファンが自分の歌やダンスを切望していることを知っている二宮くんが好き。

チャンネル登録者250万人突破記念にオリジナルED曲を作ってくれたとき、歌うのかな?ってみんながそわそわしてたのを見てごめんね違うよって教えてくれたの、優しい愛だなと思った。

嵐の休止期間中に二宮くんがその部分をどう扱うつもりなのかはわからないしどちらにせよ私は二宮くんの選択を支持する他ないのだろうけれど、少なくとも期待されていることをきっちり認識してくれていることはわかっているので、私はちゃんと大丈夫です。寂しいなぁという気持ちが消えることはないけどね!

 

 

今年の私は寂しさを抱えて、それでもどうしたって二宮くんが好きでした。

演じるように歌う二宮くんが好きで、関節をやわらかく使って舞う二宮くんが好き。だけどそれと同じくらい、屁理屈をこねくり回す二宮くんや変な設定の嘘を重ねる二宮くんが好きで、そういうおふざけの時間の中に不意に真っ直ぐな正しさで貫いてくる二宮くんが好き。何度も言うけど歌やダンスを見る機会がほとんどなくなったことは寂しい、でも、結局のところ二宮くんを好きだという気持ちに変わりはありませんでした。

受け取らせてもらったものの解釈と咀嚼を重ねるうち、二宮くんの価値観が私の一部にもなったり、同じような考え方はできなくてもその結論に至るまでの論理性に強く惹かれたり、私はもう何年もずっとそんなことばかりを繰り返している。きっとこれからもその姿勢のまま二宮くんのファンを名乗るし、そうさせてくれる存在である二宮くんのことを、勝手ながらとても誇らしく思っています。

 

 

ただ貴方がそこで笑っててくれるだけで幸せを感じるんだよって人がこの世に幾人もいることをきっと二宮くんは知っていて、だからと言ってそこに悪い意味で甘えることはしない人だから、安心して叫べます。そこにいて、笑っててくれるだけで嬉しいよ!本当の本当に、ね。

 

二宮くん、38歳も目一杯、好きなことして楽しく生きてね。やりたいこと何でもやってやろうってくらい、欲張りでいてね。そうやって過ごす日々をほんの少しでも私たちに見せようとしてくれるなら、それが何よりも喜ばしいことなんだと、心から思います。

YouTubeのコメント欄はポジティブな内容のもので溢れてるんだよってちょっとびっくりした様子で教えてくれた二宮くんに、どうかやさしい愛情ばかりが降り注ぎますように。

 

改めて、38歳のお誕生日おめでとうございます。